企業ドキュメント:株式会社山崎文栄堂 若狹 謙治氏

株式会社山崎文栄堂 常務取締役 若狹 謙治氏

ご縁をつなぐ「幸せを創り拡げる社会に向かって」
2015年度経営計画発表会スピーチ

私からは、最近よくお問合わせ頂く事についてお話させて頂きます。

 「ちょっといいかな、若狹さん。本当に会社が好きなの?」「最近何をしてるの?」「社長変わったね!そういえば社員が辞めなくなったね!!」等々数えあげれば、きりがありません。弊社の会社訪問にも、たくさんの方にお越し頂いております。そこでほんの少しですがこの場をお借りして、入社以来私の心の変化について率直にお話しさせて頂きます。そのなかで、「なぜ山崎文栄堂が変わりはじめたのか?」「なぜ人を大切にするビジョン経営に、本気で取り組む事になったのか?」「どのようにして、幸せな社会を創り拡げるビジョンが生れたのか?」皆様の知りたい事のきっかけになればと思っております。

私は、2002年に山崎文栄堂と出会い、売上高15億円、従業員数15名、まだ1階は文房具店をやっている頃に入社致しました。なぜ山崎文栄堂を選んだかと申しますと、何となくいろんな経験が出来そうだと思い当時25歳の私は、人生の仕事を選ぶにあたって、深く考えてはいませんでした。そしてまさかこんなに長く勤めるとも、社長とビジョンの為に共に人生をかけて生きる決断をするとも、その当時は、全く予想だにしていなかったのです。

現在当時から残っている社員は私を含めて4名になります。振り返りますと、この13年間で60%の社員が入れ替わったことになります。特に5年前までは年間に社員数25人で5~6人の方が退社した時期もありました。しかしここ数年では離職する人は、ほとんどいなくなりました。たくさんの社員が辞めていった長い冬の時代、多くの部下や仲間から、相談を受けました。退職する本当の理由は社長には言えないけど、同じ社員の立場だからこそ「私にだったら言える」という話をたくさん聴きました。

それは「朝から晩まで、ただ働くのに疲れました・・・」「会社の方向性が、未来が見えないんです・・・」「毎月何の為に働いているのかわからない。」「心と体がついていかない、頑張りたいとは思うけれど、周りについていけない。」「心を麻痺させてロボットのように働く自分・・・」「元気すぎる社長のテンションについていけない・・・」などなどです。
当時の社長はまさに「元気に疲れている」感じで、みんなの為に、会社の為に頑張っているんだけど、どこか寂しそうであり空回りしているように感じていました。私は不思議でした。売上は上がっているのに、社長は何かに焦っているように感じるのです。しかしどうすることもできず、社長は近くにいてもどこか、遠くにいるような、そんなあきらめにも似た思いを持っていました。本音を言えば当時は社長のことが、そんなに好きではなかったかもしれません。私は、やり過ごしたり、見て見ぬ振りをし、退職した社員を送り出し続けました。

残っている社員からも「やってらんないよな。」「叱られたくないからとりあえずやろうよ。」「こんなのやっていても意味ないのにね。」このような状況下で、先輩社員が全員いなくなり、気がつけば実質ナンバー2になっていました。「仕事のやりがい」「仕事のモチベーション」を高めるにはどうしたらよいのだろう?社長に期待されても、誰にも相談できず孤独感を感じていました。唯一私が辞めなかった理由は、どこにいっても同じだと自分に言い聞かせていたからです。

日々重くなる仕事の重責に押しつぶされそうになりながら、結局は誰も助けてくれないから自分で決めるしかない。最後は成果が出たかどうか?のみを問われ、社長と社員の不満に板挟みになり、すごく苦しんでいました。

以前、社長の奥さん美濃子さんから「私は登さんと結婚して子供もいるから別れられないけど、なぜ若狹さんは登さんと別れないの?」と聞かれました。今では懐かしい思い出です。たしか「社長って何事にも一生懸命じゃないですか。そこは、すごいと思うんですよね。」と答えました。朝4時30分に起床して、ボイスメールを入れ、夜遅くまで会社のために仕事をしている姿をずっと見ていました。

だからこそ「必死の努力が報われる会社に変えていきたい」と心の奥では、願っていました。そんな時、当時先に学んでおられた方からご紹介で2011年に「生き方やリーダーシップ」について学ぶ機会をいただきました。
社長からも「リーダーシップ研修に行ってきたら?」と言って頂き、最初は「現場も忙しいのにまた研修で毎月2日間取られるのか?」と思っていました。しかし、人の価値観や思考の違い、コミュニュケーションや、人が生きる意味について学び続けることで、当時社内で起こっていた不満ばかりを言う社員の本当はわかってもらいたい心の叫び、寂しい気持ちや、喜ばれていないことを知りながらただやり続ける虚しい気持ちなどその人だけが見ている世界観に触れ、違いを認めネガティブな感情にも、深い意味があることがわかり、心を大切にしてあげることができるようになりました。仲間が見ていてくれる、助けてくれる、認めてくれる、まわりとのつながりを大切にしていくフィールドに、山崎文栄堂は変化しはじめました。

さらにここ2年前から、社長と共にリーダーシップの合宿研修で共に屋久島に行きチームビルディングの一環で山に登ったり、お互いのビジョンについて探求もしました。屋久島の雄大な大自然に囲まれる環境の中で、社長と寝食を共にし、会社の中では見せない社長の葛藤している姿や本心に触れる機会がたくさんありました。

「本当はこんな弱い部分があるんだな。」「実は私達の為に、いろんな事を考えてくれていたんだ。」「社長も特別ではなく、学び成長しようと悩む、同じ人なんだ。」お互いの良い部分、弱い部分を見せ合い役職や役割を超えた、同志として分かり合うことができるようになり始めました。まるで霧が晴れるようにです。

そして遂に、お互いのビジョンを本気で探求する決心をしました。まず私達が、問いかけなければならないのです。そうでないと誰にも「何の為に働くのか?」「何の為に生きるのか?」に答えることが出来ないからです。屋久島のVISION QUESTの合宿に社長と二人でコミットし、深い内観に取り組みました。「自分はどんな存在なのか?」「なぜいまここにいるのか?」「どんなリーダーになりたいのか?」を自分に問い続けました。

そして私の中から、「つなぐ」というひとつのキーワードが、輝くように、あたたかい感じで浮かんできました。自分の役割は「つなぐことで貢献していく」ということなんだ・・・ビジョンを見つけることができました。ご縁、幸せ、いのちを繋ぐこと。そのとき、なぜだかわかりませんが、自然と涙が溢れてきました。これまでずっと悩んでいた「なんのために生きているのか?」「本当はどんな人生をおくりたいのか?」を、知ることができ生まれて初めて、自分自身の心に触れたような感覚に感動をしました。

ふと隣を見ると、私より号泣している人がいました。社長です。「私のビジョンは幸せを創り拡げる。」とすごく幸せそうに語っていました。「よし、そのために一緒に力を合わせて実現していこう!」お互い涙に溢れた顔を見合わせていました・・・。泣き笑いをしていました。この時にようやくふたりのビジョンの共有ができたのです。社長と自分の見ている、成し遂げたい世界が同じであり、一緒にやっていこうと決意しました。ビジョンをお互いに見つけ共有できた瞬間、私達は本当の同じ志を持つ同志になったのです。大自然の中で風を感じるような晴れやかな、すがすがしい涙です。

思えば18年間、営業という仕事を通じて、たくさんのお客様、メーカー、協力会社様に出会いご縁をつないで参りました。ご縁をつなぐということに誇りとやり甲斐を感じていました。そして、社長と今日経営計画発表会に来てくれている長男創史くんの時代をつなぐために、今いる社員と一緒にどんな変化にも柔軟に対応できる組織を作ることが私の大切なミッションだと感じています。会長の健吉さんから登さんへ、そして創史くんと3代の世代交代を見届けつなぐことも自分に与えられた役割だと感じています。

山崎文栄堂は、ビジョンに向かう「ヒーローズジャーニー(英雄の旅)」を歩んでいます。私達は、試練さえも生きる力として大いに楽しみ、お客様を最高に喜ばせる仕事をし、勇気と責任をもって「幸せを創り拡げる社会」に向かって一歩一歩登って参ります。



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